冥土の土産

キュアップ・ラパパ ?

1000文字の、どうして?

「生きてるってことは当たり前じゃない、奇跡なんだよ、だから前を向いて生きよう!」だなんて言われても黙れクソが、程度の感情しか湧かなくて、わたしは毎日を塗りつぶすように生きている。

どこまで塗りつぶせば正解なのかもわからないし、もしかしたら大切なものをもうすでに塗りつぶしてボロボロにしてしまっているかもしれない。

そんな恐怖にとらわれながら毎日すれすれのラインを落っこちてぐちゃぐちゃにならないように、綱渡りするみたいに生きている。

わたしの中にはたくさんのわたしがいて、ときどき全員がわたしを殺そうとする。わたしはそれから必死に逃げて、逃げて、逃げて。なんとか毎日命を繋ぎとめている、そんな感じ。

生きてるってことは当たり前じゃない、そんなの知ってる。死にたいと思うことが世間的には間違ってるのも知ってる。

知ってる知ってる知ってる、知ってる知ってる知ってる知ってる、知ってる知ってる知ってる知ってる知ってる知ってる知ってる知ってるよ、うるさいなぁ、うるさいなぁ、黙ってよ。

常識の範囲内で生きなきゃいけないの、どうして?

ママ、ゆめかわいいが嫌いなの、どうして?

パステルピンクが嫌われるの、どうして?

人前で薬を飲むのが気まずいの、どうして?

わたしにはわかんないよ、わかんないことが多すぎて生きづらいよ、好きな人にはわたしのこと好きになってほしいよ、でもそれも叶わなかったし、好きなものは全部、「当たり前」に奪われていくみたい。からっぽ。

好きなCD、好きな服、好きなお菓子、好きな人。

全部大好きだけど、全部大嫌い、そんな気持ちで毎日生きてるって誰か知ってて。

誰か私に気づいてください。メンヘラだなんてくだらないカテゴリに分類しないで、お願い、わたしをわたしという個体として見ていて、お願い。

味のなくなったガムばっかり噛んでたら、どれが本当の味かわからなくなっちゃって、何色が好きだったかも思い出せない。

ギター、可愛い、お洋服、可愛い、音楽、可愛い、女の子、可愛い、わたし、可愛くない。

この世界で私だけが可愛くなくてつまらなくて、からっぽで、何も出来ない。

どうしてばっかり馬鹿ばっかりの生活、つかれた。

わたしという個体として輝いていたい。優しい言葉を発していたい。毎日平和に暮らしていたい。いたい、いたい、いたい、痛いよ。

こんなわたしの感触、誰かにわかってほしいの、

どうして?

 

 

グッバイマイラヴ💔

おひさしぶりです。きれざわ端娘です。

最近どうもつらくて軽率に死にたがる日々を送っているんですがみなさんどうですか、生きてますか。死んだみなさんもお元気ですか。

さっきチラッとアクセス解析を見たら3700を突破してまして、まだまだ小規模ですがあぁこんなにたくさん見てくれる人がいるんだなぁブログサボって過呼吸起こしてる場合じゃねぇな、と思ったわけで。

ありがとうございます。

 

2週間前にね、わたし失恋したんですよ。

すごくすごく好きだった人に彼女が出来て。

わたしその日好きな人と一緒に帰るはずだったんですよ。でも急に彼女が出来たからそういうことはできないってLINE来ちゃって。

号泣しました。悲しかった。ただただ悲しかったし悔しかった。

でも彼は悪くない。だって人を好きになるのには誰の許可もいらないんだから。

わたしの友達は散々彼を悪く言って蔑んで「あんな奴よりいい人いるよ」って励ましてくれたけどわたしはまだそう思えなかった。

だってずっと好きだったから。

だから今まで2週間、ずっと考えてました。わたしはどうしたらよかったのかな、わたしはどうすれば彼の「好き」になれたのかな、なんて泣きながら考えてました。

だけどそんなことを考えるのも今日で終わりにしたいと思います。ひとつだけ答えに近いものが浮かんだから。

考えて考えて最後にわたしの中に残ったのは、「彼に幸せになってほしい」、ただそれだけでした。

もしそれ以外の感情を抱いたら。もし彼を恨むようなことをしてしまったら何かが終わってしまう気がして。

だからわたしはただひたすらに彼を応援したいのです。わたしの「好き」は死んでしまったけれど彼の新しい「好き」がどうかどうかうまく行きますように。

元気でね、わたしの初恋。

そしてさよなら、好きだった人。

 

 

懺悔

死にたいと泣いた朝がありました、生きたいと願い続けた夜がありました。

 

わたしはうまく生きられません。

特技もありません。

顔も可愛くありません。

スタイルもよくありません。

性格もよくありません。

愛してくれる恋人もいません。

 

だから妬んでしまいます、僻んでしまいます。

幸せでいっぱいなあの子なんて死んでしまえばいいと思ってしまいます。

愛してくれる人がいて、立派な一軒家に住んでいて、優しいママ、明るいパパ、可愛いペットにとびっきりの素敵な、大好きなことがあるあの子なんて壊れて消えてしまえばいいと思ってしまいます。

 

わたしは最低です。

人の不幸しか願えません。

でも人前では、自分のことすら幸せにできないのに他人の幸せを願うふりをします。

わたしは最低です。

 

昨日の夜、死にたさで目が覚めました。

死にたくて泣きました。

でも死ねませんでした。

わたしのことを唯一わかってくれる、精一杯にがむしゃらにわかろうとしてくれる友人の顔がふと頭をよぎって、どうしても死ねませんでした。

もしかしたらもう送ったことすら忘れてしまったかもしれないけれど、その子が2年ほど前に送ってくれた手紙を思い出して、急に死ぬのが惜しくなりました。

裏切りたくないから。

わたしが生きていることを肯定し続けてくれている人をこれ以上悲しませられないから。

 

昨日の夜、生きたさで目が覚めました。

生きたくて生きたくて泣きました。

神様許してください、これ以上わたしを苦しめないでください、助けてください、と祈り続けました。

死にたいと泣くことは、生きたいと叫ぶことです。

 

どれだけ悔しくても、惨めでも、不条理でも、わたしはたった1人の、わたしの命を証明してくれた友人のために生きていかなければいけないんだと思います。

 

こんな生き方でごめんなさい。

惨めなわたしでごめんなさい。

うまく恩返しできなくてごめんなさい。

 

この場を借りて言わせてください。

ありがとう。

本当にありがとう。

普段はなんてことない顔してくだらない話しかしないけれど、あなたはわたしの命の恩人です。

これからも、わたしの大切な友人でいてください。

そして、会ったときはどうかまたいつも通りの笑顔でいてください。

わたしはあなたが大好きです。

 

 

死にたいと泣いた朝がありました、生きたいと願い続けた夜がありました、まっすぐな愛情に助けられた日々がありました。

うみべの女の子読んでみたレポ

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浅野いにお先生のうみべの女の子、ようやく読了しました。ソラニンおやすみプンプンに並ぶ代表作ということでかなり期待をしていたのですがやはり期待を裏切らない浅野いにおワールドでした。

 

主人公は中学生の佐藤小梅。舞台は海の近くの小さな町。そこで小梅は自らに想いを寄せる同級生磯辺と身体を重ねてしまう。

そこから物語が始まります。

 

まず感じたのは2人が身体を重ねるシーンの生温かさ。息づかいまで伝わってきそうな描写にどきどきしてしまいました。

 

そしてやはり中学生という儚い幼さがこの物語の要になっていると感じました。触れたら壊れてしまいそうな小梅と磯辺の関係。

むしろ壊れる時を今か今かと待っているような2人の距離感が時の流れを一層リアルに表現していました。

何度も何度も身体を重ねるうちに2人の間にはなんとも言えない惰性と、小梅の想いが生まれてきます。

 

第19話、磯辺は笑顔を作り小梅を突き放します。

 

「あたしはずっとずっと磯辺が好きだった でも気づいた時にはもうなんか……なんかもうどうしたらいいのかわかんなくて こんな感じになったのも磯辺に嫌われたのも……全部あたしのせいだってわかってるけど やっぱり磯辺のことが好きだしずっと一緒にいたいって思っちゃうから あたしがんばるから……優しい人になるから あたしと…付き合ってください……」

 

心の奥底から捻り出した小梅の告白。

でもこの思いが磯辺に届くことはありません。

最初は磯辺のほうから想いを寄せていたはずなのに、ずっと一緒に、なんとなくの関係で一緒にいられると思っていたのに。

 

海に向かって嗚咽を漏らす小梅に胸が締め付けられました。なんとなく日常にあったものがどんどん大切になってしまって、身体を重ねてしまって、でも心が重なることはなくて、どうしようもない苦しさがありました。

 

身体を重ねるということ、相手を想うということ。当たり前が当たり前じゃなくなること。そんなことって意外とたくさんあって、でもその終わりを受け止めるにはあまりも若すぎた中学生の小梅。

 

そして20話、小梅は高校生になります。

まるで磯辺なんて最初からいなかったかのように、平凡な小梅の生活は続いていきます。

 

ここで注目するべきなのが「幼さと時間の流れ」です。幼さゆえに月日はめまぐるしく流れ、周りを取り巻く環境も変わっていきます。

小梅の中から磯辺が完全に消え去った訳ではありません。でも変わらなければいけないこと、変わっていってしまうもの、磯辺はそんなものになってしまったのだと思います。磯部の中の小梅も同じように。

 

とにかく全2巻、読んだ感想は「人間の生温かさ」です。切なさも苦しさも大切なこともどうでもいいことも全部、磯辺と小梅の関係に詰まっていたように感じました。

 

「この街には真夏になってもあまり賑わうことのない小さな浜辺があって

自分はその浜辺を何かを探しながら歩くのが好きだった

しけた花火とか 昆布とか 風に飛ばされた誰かの帽子とか

大抵期待したものは見つからないし

もしかしたら初めから何も期待なんてしてなかったのかもしれないけれど」

 

この台詞にまだ遠い夏を感じました。

 

THE・入院実録

先日閉鎖病棟から無事帰還しましたきれざわ端娘です。
入院したのは8月22日。2ヶ月間の入院生活。

私が最初に入った病室は4人部屋の右の窓際。
入院初日はとにかく不安で気が狂いそうだった。隣のベッドの患者がイヤホンをせずにPSPで格ゲーをしている音が聞こえる。斜め向かいの患者は枕に向かって奇声を上げている。
ああ、地獄だ、こんなところで治るわけがない、そう思った。

入院して5日、とうとう気が狂った。
わたしは面談室で面会に来た母に「帰りたい帰りたい帰りたいこんなところにいたら死んでしまう帰らせてくれ」とせがんだ。
そんなことしたって帰れないのはもちろんわかっていたけれどもうほんとに死ぬ、ダメだ、本当に首吊って死ぬ、その一心だった。
病院食には手がつけられず、病棟内すべてが汚く感じて耐えられなかった。

入院2週間目、劇的に薬が効いて外出許可が出た。ようやく出られる、この汚い恐怖しかない病棟から出られる、もう自由だ!!!!!

そんなわけがなかった。
外出許可はあくまで「外出する許可」だ。
ものすごく当たり前のことだがその時の私は「外に出る」ということで頭がいっぱいだった。
外出を楽しんでさぁ帰ろうとなった時、私は病院のホールで過呼吸を起こし倒れた。「7階病棟」にぶん殴られた気分だった。

〜省略〜

入院1ヶ月半が経つと病棟にも慣れ、外泊許可も降り、いよいよ退院が見えてきた。終わりが見えるとつらさも和らぐ。
薬が体に合ってきたのもあってほとんどパニックも起こさず幻聴も聞こえなくなった。
そして2週間に1度の主治医との面談、私はようやく病名を告げられた。

ああやっぱりな、ってな感じで驚きも悲しみもしなかった。だって日本では100人に1人の割合で統合失調症らしいですよみなさん。
症状も完全に統合失調症だったし。

はい、というわけで書くのがどんどん面倒になったのでここらへんで終わりにさせていただきます。
私が入院生活で学んだことは「人間はキモい」です。キモすぎる人間。マジで。
聞こえない声が聞こえたり見えないものが見えたり倫理観がズタボロだったりメンがヘラったりマジでキモい。
私は死んでもあのクソみたいな鉄扉の中に放り込まれたくないので頑張って治します。

最後に私の入院生活を支えてくれたYUKIちゃん、靖子にゃん、林檎ちゃん、クリープハイプ、源さん、どうもありがとう!!!!!

心の底にて

私の心にはタンクがあって、感覚でいうと10リットルくらい。大きいタンク。それは時によってメモリに変わったり積み木に変わったりするんだけれどもこれは常に私の心の密度を表している。きれざわ端娘です。

これは私の中の実感を言葉にしたものである。
この話を身近な人間に話しても「わけがわからない」と返されるばかりで、もしかしたらこれは私だけのおかしな考えなのかもしれない。私は変なのかもしれない。怖い。怖くて仕方が無い私の話を聞いて欲しい。

タンクの中身は私の「共感」「感動」「思考」「好奇心」など心がぐっと動いた時にあらわれる感情でできていて、新しいものを吸収したときに増える。タンクがある程度満たされていれば私は人並みの生活ができるし、社会にも何の問題もなく溶け込むことができる。だがそれは毎日消費される。黙っていては底がつくのだ。

私は漫画と音楽が好きだ。だからそれを毎日吸収しようとする。でも新しいものを見たり聴いたりするのはとても集中力を使う。だから私はめいっぱいの集中力を体力の限界まで引き出してこのタンクの底が見えるか見えないかの瀬戸際をきているのだ。

漫画の中に、音楽の中に、私が私であることを教えてくれる、ぴったりとパズルのピースがはまるような「一瞬」を探し求めるのだ。「主人公の妹の同級生」、歌詞の中の「あの子」、そんなものに自分を当てはめてき伸ばすのだ。

「主人公の妹の同級生」が朝日を見たならば私はあと1日をき伸ばすことができる。「あの子」が誰かに愛されたなら私はあと1時間をき伸ばすことができる。

タンクの底が、メモリの底が完全についたらどうなるんだろう。私は気がおかしくなって死んでしまうのだろうか。

タンクの底が見えると私の世界の彩度が落ちる。感動も共感もできなくなる。彩度が落ちた世界では何を見ても興味を惹かれることは無い。それはもはや「」だ。

私の言う「」は本当の「」ではない。
精神の「」だ。こころの「」だ。
それは本当に命が尽きるより怖い事だと思う。
私はどうなってしまうんだろうか。そうなったら誰が私を愛してくれるんだろうか。誰が私を認めていてくれるんだろうか。

私は「絶対」に安心を求める。「絶対」を信仰する。だって私以外は嫌だもの。私は私としてきていたいもの。
だから漫画を読んでいて、音楽を聴いていて感じる「一瞬」の「絶対」な感動を手放さないように生きているのだ。

今すぐ駆け出したくなるような、身体のすべてが入れ替わったような、一気に夜明けが駆け抜けたような、そんな「一瞬」をどこかに求めているのだ。

それでもタンクがいっぱいになることは無い。鬱状態になってから3年、タンクは覗くのが怖くなるほどに底が見えている。たぶん、この「満たされない気持ち」に終わりはない。

私はずっと何かを渇望して、潤しても光を当てても満たされることのないタンクを抱えてきていくのだろうか。私はずっと、「」から逃げるように、眩しいほどの「一瞬」に命を賭けていくのだろうか。

どうか今日、タンクの底がついてしまいませんように。どうか明日、何かわたしを満たしてくれる「一瞬」が訪れますように。
私は今日も明日も明後日も1日を必き伸ばす。

私、ママにはママになってほしくなかったんだ

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生まれた時から母とうまくいかない。
たった1人の家族とうまくいかない。
きれざわ端娘です。

私と母はどうしてもうまくいかない。
毎日どこかが食い違う。
母は更年期、わたしは思春期だしお互い精神疾患を抱えているので円滑な関係を築くことができなくて当然なのだが親子同士でぎくしゃくし続けているのはかなりしんどい。

母は唐突にキレる。
理不尽な理由で私をけなす、貶める、蔑む。そしてヒステリック。お前はこの私のせいだと言いたいのかと何度も問い詰めてくる。さらにしつこく娘を監視しようとする。私は小学校を卒業するまでキスシーンのある漫画はすべて没収され、中学校を卒業するまで男の子と部屋で二人きりになるのを禁止されていた。これが心配からきているのはよくわかる。だが母は愛情が重すぎるのだ。エゴイズムが強すぎたのだ。最近でも私が電話に出ないと多い日で1日20件の不在通知。
そのせいで私は何度もスーサイドを考えた。
こんな親から逃げることが出来たのなら、自由になることが出来たのならどれだけ幸せだろうか。そう何度も思って生きてきた。
何度殺してやろうと思ったことか。
何度家を燃やそうと思ったことか。

もちろん毎日仲が悪いわけじゃない。
楽しい日だってあるしむしろ笑わない日はない。でも、私が、母のことを心から好きになることは一生無いだろう。

母は少し足りないのだ。
普通のお母さんがすべて完璧なわけじゃない。でも、うちの母は普通のお母さんの20%くらいしか「母親」になることが出来ない。
「娘」のことをひとりの「同性」として見てしまうのだ。だから強く当たるし悲しい時にも突き放す。娘として見ることが出来ないから。
それは病気のせいでもあるのだが、母は天性のヒステリックなので頓服を飲ませようがどうしようもない。

母は「良い母」になれない。

そして私は「良い母」でない母を肯定できない。

そして、私も「良い娘」になれない。

これはお互い苦しいんだ。娘に信用されない母、母を信用出来ない娘。負の連鎖だ。

母は料理が上手ではない。苦手なほうだ。
疲れて帰ってくると必ず夕飯はコンビニで帰ってきたもの。おそらく私はセブンイレブンのパスタを網羅したと思う。

最初は自炊しないで買ってきたものを平気で娘に食べさせる母を蔑んだ。私にもし子供が出来たらそんなことは絶対しない。なんだこの女は。信じられない。そう思った。

でもそんな日が続くと母からあるサインが出る。それは冷蔵庫に入った2個のお菓子。自分が食べたかったからなのか申し訳なさからなのかは私にはわからない。でも、母は母なりに母親になろうとしているんだと思う。

私が言いたいのは、子供は親を選べないということ。だから私は「産んでくれてありがとう」なんて一生思わないしお世辞でも言うことは無い。子供を作ったのは親だ。わたしたち子供の意思と関係なく子供として産まれてきた。
そして色んなものを見て、親の人格を知って、泣いて喜んで絶望して、生きるか死ぬかを決めてゆく。
だから子供は親のものじゃないんだ。
人はみんな良い意味でひとりなんだ。
ひとりでいるべきなんだ。
決して親に依存心なんて抱くべきじゃない。

私は母を好きになれない。
でも私の母はたったひとりだ。
交換もできないし殺すことだって出来ない。
だから、私は、この環境の喜びもストレスも全部飲み込んだ上で、なんとか生きていかなきゃいけないんだ。そう思う。

今日も明日も明後日も、私と母は親子だ。
ママはママになるべきじゃなかった。