女子高生は魔法少女になれない

キュアップ・ラパパ ?

心の底にて

私の心にはタンクがあって、感覚でいうと10リットルくらい。大きいタンク。それは時によってメモリに変わったり積み木に変わったりするんだけれどもこれは常に私の心の密度を表している。きれざわ端娘です。

これは私の中の実感を言葉にしたものである。
この話を身近な人間に話しても「わけがわからない」と返されるばかりで、もしかしたらこれは私だけのおかしな考えなのかもしれない。私は変なのかもしれない。怖い。怖くて仕方が無い私の話を聞いて欲しい。

タンクの中身は私の「共感」「感動」「思考」「好奇心」など心がぐっと動いた時にあらわれる感情でできていて、新しいものを吸収したときに増える。タンクがある程度満たされていれば私は人並みの生活ができるし、社会にも何の問題もなく溶け込むことができる。だがそれは毎日消費される。黙っていては底がつくのだ。

私は漫画と音楽が好きだ。だからそれを毎日吸収しようとする。でも新しいものを見たり聴いたりするのはとても集中力を使う。だから私はめいっぱいの集中力を体力の限界まで引き出してこのタンクの底が見えるか見えないかの瀬戸際をきているのだ。

漫画の中に、音楽の中に、私が私であることを教えてくれる、ぴったりとパズルのピースがはまるような「一瞬」を探し求めるのだ。「主人公の妹の同級生」、歌詞の中の「あの子」、そんなものに自分を当てはめてき伸ばすのだ。

「主人公の妹の同級生」が朝日を見たならば私はあと1日をき伸ばすことができる。「あの子」が誰かに愛されたなら私はあと1時間をき伸ばすことができる。

タンクの底が、メモリの底が完全についたらどうなるんだろう。私は気がおかしくなって死んでしまうのだろうか。

タンクの底が見えると私の世界の彩度が落ちる。感動も共感もできなくなる。彩度が落ちた世界では何を見ても興味を惹かれることは無い。それはもはや「」だ。

私の言う「」は本当の「」ではない。
精神の「」だ。こころの「」だ。
それは本当に命が尽きるより怖い事だと思う。
私はどうなってしまうんだろうか。そうなったら誰が私を愛してくれるんだろうか。誰が私を認めていてくれるんだろうか。

私は「絶対」に安心を求める。「絶対」を信仰する。だって私以外は嫌だもの。私は私としてきていたいもの。
だから漫画を読んでいて、音楽を聴いていて感じる「一瞬」の「絶対」な感動を手放さないように生きているのだ。

今すぐ駆け出したくなるような、身体のすべてが入れ替わったような、一気に夜明けが駆け抜けたような、そんな「一瞬」をどこかに求めているのだ。

それでもタンクがいっぱいになることは無い。鬱状態になってから3年、タンクは覗くのが怖くなるほどに底が見えている。たぶん、この「満たされない気持ち」に終わりはない。

私はずっと何かを渇望して、潤しても光を当てても満たされることのないタンクを抱えてきていくのだろうか。私はずっと、「」から逃げるように、眩しいほどの「一瞬」に命を賭けていくのだろうか。

どうか今日、タンクの底がついてしまいませんように。どうか明日、何かわたしを満たしてくれる「一瞬」が訪れますように。
私は今日も明日も明後日も1日を必き伸ばす。