冥土の土産

キュアップ・ラパパ ?

人類ラブ

おひさしぶりです。端娘です。

前回の記事から半年以上経っていると思うと恐ろしいです。みなさん季節の変わり目ですがお元気でしょうか。

最近日々の生産性が著しく低下しているな、これはNo productivityだなと思いながら生活しているんですがどうですか。最近の私つまらんくないですか。尖ってなくないですか。

やっぱできることなら面白い記事とかすんげえ曲とかセンス溢れるツイートとかすんげえ服とか作って1発ドカンと儲けたいんですけど。まあ嘘なんですけど。

とりあえず私は自分が所詮「消費されゆくモノ」だと理解しているタイプのコンテンツなので常に面白くありたいです。

死にたい夜も吐いた朝も全部私の宝物なので誰にも渡したくないしそれを昇華させられるのは私だけなので。

私の気持ち悪さを私は全力で愛してしまいたい。他人からの肯定なんていらないほどに。気持ち悪くて、ダサくて、つまんねえ平凡さだってむしろ愛おしく思っていたい。

自分を助けてあげられるのって最後は結局自分しかいないんだな、と最近気付きました。だから自分の自分だと認めたくない人格、考え方まで全て含めて好きだな、面白いな、と思っていたいです。

そういう考え方をするようになった最近なんですがそのせいか他人も余計に愛おしく感じてます。人類めっちゃ愛おしい。

だって素晴らしくないですか?人間ひとりひとり「個」を持っていてそれを爆発させたりさせなかったりしながら生きてる。それはひとつとして同じものはなくて、え、なにそれ、生きてるだけでもう既にサイコーじゃん、と思うわけです。同じ局面にぶち当たったとしても100人いれば100通りのリアクションがあると思うと人間…お前ら…愛おしいな…って思います。

もちろん「うっせー全員消えろ」って気分のときだってあるけれど前のような人類に対する罪悪感?みたいなものは無くなってきました。自分は自分でしかないし、他人は他人でしかない。そこの区別が私の中ではっきりしてきたなあと感じます。

今まではたぶん人に嫌われるのが怖いあまり他人の感情に過剰に共感しようとして引っ張られてしまったり、自分のことから目を背けようとして他人の言動に頼りきったりしていたんですが今は自分も、そして他人も愛おしいと思えるメンタルが形成されつつあるので引っ張られず、頼りきらずと丁度いい生き方が出来てきてるんじゃないかなと思います。

どんなに嫌気がさしても私は私でしかいられないのでわ泣いても妬いても散々でも私という存在を、そして私に関わる全ての人間を、ときには敵意を向けられることだってあるけれど、愛おしくて素晴らしいと思っていたい。

そんな平和なブログ、最後まで読んでいただきありがとうございます。人類ラブ。