鍵盤
朝起きて、煙草を吸い、昼に起きて、煙草を吸い、また眠りについては起き、もう一本吸った。気付けば夜と言っても良い時間帯だった。
部屋には「坂道のアポロン」で主人公らが演奏したジャズメドレーのコピーが流れていた。
下腹部が痛い。無意識にさすった。次第にそれが治まると鏡を見つめて考え事をした。
考えることは好きだ。特に答えのないことに関して。
時間を空けて吸う煙草に少しくらつきながら目の前に鍵盤をイメージした。いつの日かピアノ教室の発表会で弾いた「Moanin’」の運指をまだはっきりと覚えている。
しばらく連絡を取っていないひとたちのことをぽつぽつと思い出しながら小説を開いた。
一度にたいした量は読めない。けれど毎日毎日少しずつページが進んでいくことに少しの安心感を覚える。
同じ音楽をずっと聴いている緩やかな不安に浸りながら突発的に色を抜いた髪を指先で確かめてみる。少し痛んだ感覚の先には寂しさがあり、そしてそれもいずれはまた回復してなかったことになるということを人間関係のようだと思った。
思えばしばらく日記をつけていない。私の日記というのは不定期であり、何も無かった日に限って何か書きたくなるので人に読まれてもさほど不都合のない内容のものだった。
私が15年使った電子ピアノは先々週に年の離れた従兄弟のところへ持っていかれてしまった。「はーちゃんもう弾かないよね」叔母が言ったひとことに家族の誰もが頷いていたのに少し驚いた。15年。それは私にとって人生のほとんどだがそれだけの年数馴染みのあるものでも家から無くなってしまえば案外何ともないもので、まあキーボードもあるしな、程度にしか私自身も思わなかった。
今週中には私の部屋にキーボードが運ばれ、電子ピアノがあった頃よりも自由に没頭できる環境になる。でも私はあの電子ピアノがあった頃より上達する気はしなかった。
ピアノはそんなに上手くない方だ。年数ほどの実力は身につかなかったしずっとクラシックが嫌いだったので小さい頃からひたむきに練習することも少なかった。
でも弾かない期間が長くなるほど目の前に鍵盤の感触を思い出す。左手より少し軽やかなタッチの右手で好きな曲の旋律を鳴らすイメージをする。
そういえば前に一度ストリートピアノを友人といる時にふざけて弾いたことがあった。いちばん自信のある曲をチョイスしたつもりだったが意外と緊張してあまり上手く弾けなかった。
なんとなく、また自分の指で音を鳴らしたいと思った。またすぐ弾ける。そしてそれは私が想像するより拙い演奏だろう。でもそれでもまた初めてジャズを弾いたあの時のように思うがままに鍵盤の上を滑る指の感覚が猛烈に恋しくなった。
ピアノ、好きだったんだな。改めてそう思った。自分ではピアノを弾くのは当たり前のことで、幼い頃は毎週金曜の夜に母がピアノ教室に連れて行ってくれたし、家に帰って先生のアドバイスを少し再現すると「また上手になったね」と祖父母が喜んでくれた。
また人を喜ばせるピアノが弾けるだろうか。惰性でも気まぐれでもないはっきりとした気持ちで鍵盤に向き合えるだろうか。
16歳の頃にアコースティックギターで弾き語りを始めて、今ではそれがピアノより身近な存在になっているがそれでもやっぱり鍵盤を力強く叩く快感には及ばない。
今週キーボードが運び込まれたら死ぬほど練習しよう。アルバイトも短期間だがお休みを頂いているしいい機会だと思う。
本当に好きなものごとは案外離れてからでないと気付けないものなのかもしれない。
「いつか弾こう」と思って眠らせている楽譜がいくつもある。今はそれらがすごく恋しくて早く自分のものにしたいと気持ちが高まる。
次はもっと新鮮な気持ちで鍵盤と向き合おう。
自分の感情を読むように、丁寧に。
トロイメライ
トロイメライを聴いている。私がいつか弾こうと思っていた曲だ。楽譜を手に入れてピアノの前に向かったのを覚えている。
どうして弾けなかったんだろう。どうして弾こうと思わなかったんだろう。
きっと、「またいつでも弾ける」と思ったからだ。
「またいつでも」なんて存在しないのに。
人間は油断をして生きているなあと最近常々思う。日々は選択肢の連続だが、ちょっとした油断や甘えがその100個先の選択肢を狭めているかもしれないなんて考えもしないで生きている。
恋人との日々の中でたくさんの選択肢の失敗が目に付くようになった。恋人は季節の変わり目に弱く、近頃体調と精神のバランスが取れずにいる。本人もそれに困惑して疲弊しているし、私もそういう病状があらわれることが多いのでよくわかる。だけど。
私は考えが甘いのだ。恋人ならば常に私を支えてくれるものだと盲信していたのだ。そんなことはあるはずがないのに。お互い同じ人間だ。調子が悪くなったり機嫌が悪くなったりして当然なのだが今の私はそれを許容できなかった。
大好きなのに大嫌い。
そんな感情に揉まれて訳が分からなくなっていたのが昨晩のことである。勝手に別れを想像して泣いてみたり不甲斐なさに叫んでみたりもした。そんなことにも飽きてきた頃私は決意した。
大切な人を守れる人間になりたい。大切な人たちをもうこれ以上苦しめたり悩ませたりしない、私が散々な日も私を私で居させてくれた人たちを今度は私が守ってみたい。
そう思った瞬間少し心が軽くなったような気がした。守られる側、期待する側、待つ側はもうやめよう、なんとなくそう思った。
「いつか」や「きっと」なんて存在しないのだから。誤魔化しのきかない一度の人生だ。過去の選択に眠れない夜はもういらない。私は強くなりたい。
本当は忘れたいことなんてひとつも無かった
平日の夕方。雑に特に必要も無い自慰をしながら昼寝をする体制でTwitterのフォロー整理なんかをしていたらクリープハイプの「ねがいり」の歌詞をツイートしているアカウントがあって、どんな曲だったっけと思いYouTubeを開いた。
好きだったジュースも髪の毛の色も
笑った時の顔も泣いてる時の顔も
出会った事さえ忘れていました
思わず泣いてしまった。いやそれは嘘だ。正確には心の底から泣きたいと思った。わあわあと声を上げて泣いてしまいたいと思った。
大事なことを忘れてしまう、それは日常に度々訪れることであって、忘れる側が悪いわけでもなく、忘れられる側が悪いわけでもないのだがなぜかそれはとても悲しくて、寂しくて、胸がギュッと痛むような、ズキズキと脇腹が痛むような気持ちになる。
逆に忘れたいことはなかなか忘れることが出来ずに日々を蝕むし、侵食しきってもうズタボロになったよ、さあどうしようか、ってレベルまで到達した頃にようやくどうでも良くなってきたりするので非常に困るのだ。
わたしには今「絶対に忘れたくないけど忘れたほうがきっと少しは幸せに生きていけるんでしょうね、知らんけど」といった具合の案件があって、どうもその感情のやり場がない。見つからない。
人を好きだと思うこと。わたしにとっては簡単で、なんならその日会った人とホテルに行ってしまえばそれはある程度達成出来てしまうようなことで、別に大したことじゃなかった。
人を信用すること。これはまた厄介で、わたしは人に心を開いたり人の助言を聞き入れることが大変難しく感じてしまう。
じゃあそのふたつを許せる相手がいたら?
それはもう、好きだ!なんてものではなくなってしまうんじゃないか、そう思った。そして同時に少しだけ怖くもなった。
人を愛しいと思ってしまった。
この人と生きていきたいと思ってしまった。
初めて人に対して強く強く生きていてほしいと願った。
だけど、どうやらそれはもう届かないみたいだ。
だから忘れようと思う。でもわたしは不器用で都合のいい人間にはなれないから、忘れた振りをして生きていこうと思う。
もうその相手にわたしが直接言葉を伝えることは出来ないのでここに書かせてください。
あなたの笑った顔、怒った顔、わけわからん変顔、話し方、わたしの名前を呼ばないところ、意外とだらしないところ、作ってくれたごはん、朝少し寒い部屋で目覚めて隣にあった寝顔、午前4時を過ぎるとなぜか抱きついて眠る癖、わたしが泣いてたら一切の励ましをせずに正論をぶつけてくるところ、でも最後は笑わせてくれるところ、柔軟剤とシャンプーの匂いも、ごめん。
全部忘れてしまいました。
「ふたり」になれない私たち
好きな人がいる。
今日も好きな人とセックスをした。
「可愛いね」「大好きだよ」と好きな人は言った。
でも、私は好きな人の恋人ではない。
この関係を始めてから、一体どれくらい自問自答を繰り返してきただろうか。一体どれだけ自分を責め、恨み、呆れ返っただろうか。
セックスはありとあらゆる問題をうやむやにしてくれる。彼に抱かれている瞬間だけ、私たちは「ふたり」になれているような気がしていた。
「今年は結婚しようかなあ」
好きな人が今日帰り際に言った。
「え、マジで?」
そんなリアクションしかできなかった。
彼の年齢を考えると結婚したいという発想は当然のものだし、それを考える度に私があまりにも子供だという事実を突きつけられる。
私は彼が好きなのだ。だから彼の描く未来に、彼が結婚するであろう人間の候補にすら私はいないということが悔しかった。
好きな人は女好きの筆不精の身勝手の気分屋だ。
「そんな人のどこがいいの?」と最近よく友達に聞かれる。正直に言うと私にももうわからない。というか、「ここが好き」とかいうレベルではないのだ。細胞レベルで私は彼から安心感を得ているしときめいているし惹かれているのだ。
彼の名前を呼ぶ度に幸せな気持ちになって、それと同時に胸がきゅっと苦しくなる。これを恋と呼ばずして、愛情と呼ばずしてなんと言えよう。
彼の前ではもはや「わからない」という感情ですら愛おしいのだ。彼の存在は私のどうしようもない死ぬ以外の選択肢が浮かばないようなどん底の朝も昼も夜もすべて塗り替えてしまうような魔法だ。そしてどれだけもがいても深みにはまっていく、取り返しのつかない感情にさせてしまう麻薬だ。
私たちにはきっといつか終わりが来る。
それは1年後かもしれないし半年後かもしれないし1ヶ月後かもしれないし、もしかしたら明日かもしれない。
私が彼を好きでいるように、彼にも人を好きになる権利がある。好きになるという感情の前では全てのものが意味を失ってしまうからきっと彼はわたしになんの情を感じることもなく関係を解消するだろう。
でももうそれでもいいかな、と思っている自分もいる。それぐらいのことがないと私はきっと、彼を諦めきれないからだ。もちろん彼と付き合えるのならばそれがいちばん嬉しいことだけれど、そればかりは言ってみないと、行動してみないとわからないし、なにより怖い。他人に戻るのが怖い。
でもひとつだけ決めていることがある。
私が成人する3月までには決着をつけようと。
この件に関してはそれが実現できるかどうかは私の中では大した問題ではなくて、そんな決心をできた自分をまず褒めてあげようと思う。
好きな人を諦めるということ。
それは一大決心であり、終わりであり始まりだ。
きっと彼に振られたとしても、私はたぶん夏には別の恋をしているだろうし、そのうち彼の表情や仕草なんかも忘れてしまうのだろう。
忘れるということ。それは成長なのかもしれない。
人は色んなことを忘れて生きてゆく。
どれだけ好きだった彼氏でも別れてしまえば生きてようが死んでようがどうでもいい存在になってしまったりもする。 忘れないと前に進めないことは案外多く存在するし、忘れることで救われたりもする。
でも私は思う。
「好きな人」のことは忘れてしまっても「好きな人を一生懸命に好きでいた私」のことは忘れたくないな。
人に愛情を向けられるというのはこの上なく素晴らしいことだし、それが依存だろうと執着だろうと「好き」という感情を持っているのならばそれでいいんだと思ったりもする。
いつか、その終わりが来るまで、私は彼を真正面から愛していようと思う。彼がくれたたくさんのもの、それを1粒もこぼすことなく大事に抱えて、たとえ滑稽だと思われても、一途に彼だけを見つめていたい。
だからもう少し、もう少しだけ。
私に彼を好きでいさせてください。
私たちの関係性を、惰性を、甘えを、許してください。
「ふたり」になれない私たちのことを。
セフレに彼女ができた話
それはあまりにも突然の出来事だった。
3日間連絡のなかったセフレからやってきたLINE。
「連絡不精で申し訳ない!
突然だけどお伝えしないといけないことがあって、一目惚れして告白した方と交際することになりました!
恋人のためにも身辺整理をしたいなと思います、これまで楽しい時間をありがとね」
頭が真っ白、いや暗転した。
何が起きているのか理解ができなかった。
何を言われているのか理解ができなかった。
わたしが彼に会ったのは1ヶ月半前。
きっかけはTinderだった。
Tinderなんてヤリモクが大半だしわたしもそのつもりだった。
でもマッチングして、その日のうちに会う約束を決めて会うまでの期間、相手はとてもわたしに興味を示してくれたし(ヤリモクなので)優しくしてくれた(ヤリモクなので)。
わたしは約束当日、はちゃめちゃに緊張しながら彼の家の最寄り駅で待っていた。
すると電話。
「今日遅くまでいるでしょ?一緒に晩ご飯食べようと思って材料買い出しに来てるからちょっと待っててね」
5分後現れた彼。緊張が安心に変わった気がした。
家に着いてセックスして、一緒にお風呂入って晩ご飯を食べて帰る。
それがわたしたちの、いやわたしのしあわせな週に一、二度のルーティンになっていた。
こんな生活抜け出せなくなるな、と思った。
わたしは筆不精な彼からの返信を一日中待っていた。
だいたい10時、15時、22時。
その時間になると無意識にスマホを気にしたり時間を確認したりしていた。
それはもう、すでに、恋だった。
恋だと認識してからの毎日は楽しくて、一喜一憂もするけれど毎日がすこしだけ輝いていた。気がした。
彼はその間も甘い言葉をかけ続けてくれていたし、わたしも徐々に愛情表現をするようになってしまっていた。
セックスフレンド。略してセフレ。
ある日言われた。
「俺と端娘ちゃんはさ、世間一般的に言ったらセフレだけどそれ以上の信頼関係があると思うんだよね」
素直に嬉しかった。このまま付き合えなくても信頼関係があるならこれでいいんじゃないのかとすら思った。
でも、終わりは唐突にやってきた。
セフレの関係性は刹那的であり、どちらかに恋人ができたら即終了の詰みゲーだったりする。
終わって欲しくないことの終わりはいつも突然だ。
でも人間には終わりがあるからこそ美しい、そう思う。
わたしはもちろんどん底に落ちたし這い上がるパワーはまだ完全ではないけれどなんだかそれも受け入れてしまえるような気がした。
今日、彼の家に忘れ物を取りに会いに行った。
絶対しないぞと思っていたけれど結局セックスはした。
わたしたちらしい終わり方だなと思った。
事後、わたしはやっぱり泣いてしまって、笑ってごまかしたりしてみたけれどそれでも涙は止まらなかった。
「わたし、本当にセフレさんのこと好きだったんですよ、知ってたでしょ」
「本気かどうかはわからなかったけど好きでいてくれてるなって自覚はあったよ、気持ちに応えられなくてごめんね」
彼は彼のままでいて欲しいな、と思った。
最後の最後まで、とてもずるくて、都合が良くて、自分勝手で、でも、すごく、すごく優しい人だった。そんな彼が好きだった。
そしてそんな彼の幸せをただひたすらに祈る自分がいた。
何にでも終わりはやってくる。
でもその終わりを何度も乗り越えて人は強く、愛情深くなるんだなと思った。
彼がしてくれたこと、それはセックスだけじゃなかった。わたしの心の拠り所になってくれた、理解しようとしてくれた、信頼してくれた、そばに居てくれた。こんな短期間でそれだけのものを貰えたなんて、もうわたしはそれで十分だなと思えた。
前髪を切ってくれたこと、一緒にゲームしたあと昼寝したこと、新しく買った布団のレビューを言い合ったこと、入浴剤を浴槽の外にぶちまけて笑ったこと。
もう二度と会えないと理解した途端、彼の声、言葉、表情が一気に頭の中を駆け巡った。
玄関先で彼は言った。
「今までありがとう、またね」
わたしは笑ってこう返した。
「今までありがとう、さようなら」
人類ラブ
おひさしぶりです。端娘です。
前回の記事から半年以上経っていると思うと恐ろしいです。みなさん季節の変わり目ですがお元気でしょうか。
最近日々の生産性が著しく低下しているな、これはNo productivityだなと思いながら生活しているんですがどうですか。最近の私つまらんくないですか。尖ってなくないですか。
やっぱできることなら面白い記事とかすんげえ曲とかセンス溢れるツイートとかすんげえ服とか作って1発ドカンと儲けたいんですけど。まあ嘘なんですけど。
とりあえず私は自分が所詮「消費されゆくモノ」だと理解しているタイプのコンテンツなので常に面白くありたいです。
死にたい夜も吐いた朝も全部私の宝物なので誰にも渡したくないしそれを昇華させられるのは私だけなので。
私の気持ち悪さを私は全力で愛してしまいたい。他人からの肯定なんていらないほどに。気持ち悪くて、ダサくて、つまんねえ平凡さだってむしろ愛おしく思っていたい。
自分を助けてあげられるのって最後は結局自分しかいないんだな、と最近気付きました。だから自分の自分だと認めたくない人格、考え方まで全て含めて好きだな、面白いな、と思っていたいです。
そういう考え方をするようになった最近なんですがそのせいか他人も余計に愛おしく感じてます。人類めっちゃ愛おしい。
だって素晴らしくないですか?人間ひとりひとり「個」を持っていてそれを爆発させたりさせなかったりしながら生きてる。それはひとつとして同じものはなくて、え、なにそれ、生きてるだけでもう既にサイコーじゃん、と思うわけです。同じ局面にぶち当たったとしても100人いれば100通りのリアクションがあると思うと人間…お前ら…愛おしいな…って思います。
もちろん「うっせー全員消えろ」って気分のときだってあるけれど前のような人類に対する罪悪感?みたいなものは無くなってきました。自分は自分でしかないし、他人は他人でしかない。そこの区別が私の中ではっきりしてきたなあと感じます。
今まではたぶん人に嫌われるのが怖いあまり他人の感情に過剰に共感しようとして引っ張られてしまったり、自分のことから目を背けようとして他人の言動に頼りきったりしていたんですが今は自分も、そして他人も愛おしいと思えるメンタルが形成されつつあるので引っ張られず、頼りきらずと丁度いい生き方が出来てきてるんじゃないかなと思います。
どんなに嫌気がさしても私は私でしかいられないのでわ泣いても妬いても散々でも私という存在を、そして私に関わる全ての人間を、ときには敵意を向けられることだってあるけれど、愛おしくて素晴らしいと思っていたい。
そんな平和なブログ、最後まで読んでいただきありがとうございます。人類ラブ。
Goodbye
昨日、本命くんのことを諦めようと決めました。
彼を好きになったのは5ヶ月前。
この人だと思いました。
優しくて、面白くて、音楽が好きで、格好良い彼。
Twitterでもいろんな人が応援してくれて、ああ、私今すごく素敵な恋をしているなぁと思っていました。
でも、私たちにはひとつ無かったことにしてしまおうとしていた過ちがありました。
2回目のデートで事に及んでしまったことです。
未遂でしたが。
私はもう既にその時彼のことが好きで、彼にもちょっとでもその気持ちがあるからこうなったんじゃないか、なんて軽く考えていました。
でも違いました。彼には全くその気がありませんでした。
私は振られました。
でも全く諦める気にならなかった。
彼のことが本気で好きだったから1度の過ちくらいなんてことないと思ってしまいました。
そのあとも何度もデートをしました。
だけど、彼のデート相手は私だけではありませんでした。女の子と2人きりで遊ぶことは、彼にとってはなんてことない当たり前のことでした。
だから少しでも他の女の子に勝とうと必死に可愛い私を演じていました。
そんな日々が続く中、私は久しぶりに前好きだった後輩くんに会いました。
後輩くんは以前よく私の悩みを聞いてくれていて、とても信頼している大切な友人でした。
私は後輩くんに今まであった全てを話しました。
すると、「それってもう恋じゃないんじゃない」と言われました。衝撃でした。
「それさ、端娘ちゃんもう都合のいい女だと思われてるよ、だって最悪セフレになってたんでしょ、そんなに自分の価値下げていいの?」
そうだったのか、私都合よく使われてたんだ、最初は信じたくなかったけれど、あまりにも真剣に助言してくれる後輩くんの言葉を聞いていたら本命くんへの気持ちが徐々に薄れていく気がしました。
それから2日ほど後輩くんとLINEで話し合いをしました。
そして昨日やっと、結論が出ました。
「本命くんは私に一切の恋愛感情を抱いていない、このまま行けば私自身がダメになってしまう」
本命くんへの想いが恋から依存に変わりつつあるのは私も薄々気づいていました。気付かないふりをしていました。
でもそれじゃダメだ、しっかりしなくちゃ。
私は私を大事にしたい。一時の感情で手を出してきてしまうようなつまらない男よりも面白い人間性を持った人は山ほどいるはずだ。
そう思えるようになりました。
本命くんとのLINEはちょうどキリが良かったので既読をつけて終わりにしました。
もう、用事ができない限り連絡はしないと決めました。
今はとても苦しいけれど、後輩くんの言う通り、人は何回も「世界一好き」を繰り返していくんだと思います。
あの時の過ちがなければなと思わない訳ではありません。でも、後悔したって何も生まれないから。
これから新しい恋をしていく中で、同じ過ちを繰り返さないことがこの恋の報われ方なのかなと思います。
でもやっぱり、本命くんとのデートを思い出すと涙が止まりません。それくらい好きでした。
だけどもう振り返っちゃいけない。私のために真剣にアドバイスしてくれた後輩くんのためにも私は成長しなきゃいけない。
だからさよなら、本命くん。
いろんなことを教えてくれてありがとう。
もうただの友達には戻れないとは思うけど私はあなたを好きでいられて幸せでした。
勝手に思い出を美化してごめんね。
でもこうするしか、あなたを吹っ切る方法がないんです。弱い私でごめんね。
本当にありがとう、さよなら。