冥土の土産

キュアップ・ラパパ ?

トロイメライ

トロイメライを聴いている。私がいつか弾こうと思っていた曲だ。楽譜を手に入れてピアノの前に向かったのを覚えている。

どうして弾けなかったんだろう。どうして弾こうと思わなかったんだろう。

きっと、「またいつでも弾ける」と思ったからだ。

「またいつでも」なんて存在しないのに。

人間は油断をして生きているなあと最近常々思う。日々は選択肢の連続だが、ちょっとした油断や甘えがその100個先の選択肢を狭めているかもしれないなんて考えもしないで生きている。

恋人との日々の中でたくさんの選択肢の失敗が目に付くようになった。恋人は季節の変わり目に弱く、近頃体調と精神のバランスが取れずにいる。本人もそれに困惑して疲弊しているし、私もそういう病状があらわれることが多いのでよくわかる。だけど。

私は考えが甘いのだ。恋人ならば常に私を支えてくれるものだと盲信していたのだ。そんなことはあるはずがないのに。お互い同じ人間だ。調子が悪くなったり機嫌が悪くなったりして当然なのだが今の私はそれを許容できなかった。

大好きなのに大嫌い。

そんな感情に揉まれて訳が分からなくなっていたのが昨晩のことである。勝手に別れを想像して泣いてみたり不甲斐なさに叫んでみたりもした。そんなことにも飽きてきた頃私は決意した。

大切な人を守れる人間になりたい。大切な人たちをもうこれ以上苦しめたり悩ませたりしない、私が散々な日も私を私で居させてくれた人たちを今度は私が守ってみたい。

そう思った瞬間少し心が軽くなったような気がした。守られる側、期待する側、待つ側はもうやめよう、なんとなくそう思った。

「いつか」や「きっと」なんて存在しないのだから。誤魔化しのきかない一度の人生だ。過去の選択に眠れない夜はもういらない。私は強くなりたい。