冥土の土産

キュアップ・ラパパ ?

桃娘#とは

「桃娘(トウニャン)」をご存知だろうか。
きれざわ端娘です。
「桃娘」とは古代中国で行われていたとされる「桃のみを食べさせられて育った少女」のことである。
桃以外の食物の摂取を絶たれた「桃娘」の身体からは桃の香りが漂い、汗や涙などの体液からは桃の味がするという。その体液には不老不死や長寿の効果があるとされ富豪たちに売買された。
あまりにも現実味がないことから都市伝説として語り継がれているがなんともロマンがある。

私は幼少期からイレギュラーでマイノリティなものへの憧れやコンプレックスがひときわ強かった。
クラスの中で目立つわけでもない、かと言って地味なわけでもない私はずっと「個性」に憧れ続けていた。
我らが大森靖子ちゃんの歌詞にもあるように眼鏡デビューした子を見れば眼鏡に憧れ、花粉症で授業中とくべつにマスクを付けている子を見れば花粉症に憧れた。

それは次第に大きなコンプレックスとなり、ついには身体の一部になった。
中学に上がるとたびたび「私には何も無いんだ」と思い込み悩むようになった。
そんな中学時代はというと、成績は常に学年15位以内を保ち、吹奏楽部に所属してがむしゃらに練習を重ね1年生にしてパートリーダーを任され、合唱コンクールの伴奏に立候補して成功も果たした。
私は十分すぎるくらいに頑張っていた。
だけど当時の私は気づかなかった。「私には何も無い、まだ足りない」と必死になり人から任されるものは全て引き受けやり遂げた。
精神の乱れや体調不良を押し殺して、狭いクラスという世界の中で輝ける「なにか」を探した。

でも結局それは見つからなかった。
見つける前に私の身体は限界を迎えた。
学校に一切行けなくなり絶望した私の身体はすでには睡眠障害パニック発作を抱えていた。

おかしい。
私はこんなに頑張ったのに。
私はまだ何も見つけられてないのに。
私はもっと認めて欲しいのに。
私はもっとみんなに憧れられたいのに。
私はもっと私を見て欲しかったのに。

人にとって自分がイレギュラーであること、マイノリティであることを求めすぎたのだ。
イレギュラーであることなんて称号じゃなかった。
マイノリティなんて正義じゃなかった。
それに気づくにはあまりにも遅すぎた。


「桃娘」
そう呼ばれた彼女らはどんな気持ちだったのだろう。


自らの存在が神秘に包まれ、己の身体すべてが妙薬として重宝され富豪たちに可愛がられる。
人類というカテゴリで見てあまりにもイレギュラーすぎる育ち方をした彼女ら、私が欲しくて欲しくて仕方なかった「個性」の塊のような彼女らはどんな気持ちだったのだろう。

もちろん、桃娘も元は人間である。
ある一定の年齢を過ぎると桃の糖分のみを摂取し続けた為に糖尿病となり、手足が壊死する者、失明する者など病に蝕まれていった。そして桃娘が重宝されたのは生きている間だけではない。死んだ桃娘の血肉さえも妙薬として売買されたのだ。

自分のありとあらゆるすべてが神聖なものとして扱われ、大勢の人間の貴重な薬となる気持ちは一体どれほどの満足感と幸福感得られるものだったのだろうか!
もしくは自分が「物」として扱われているという絶望的な認識だったのだろうか。


あまりにも馬鹿で単純な私には、普遍的な人生と「桃娘」の神秘的で残酷な短い人生の優劣をつけることはまだできない。

「可愛い」は「正義」

この世には「可愛いは正義」という言葉がある。
私自身も可愛くなりたい。めっちゃ可愛くなりたい。
きれざわ端娘です。

女の子ならみんな当たり前のように可愛くなりたいと
願っているはずである。
でも世界中の女の子が探し求める
「可愛い」はどこにあるんだろう。
こんなにこんなに探しているのに全然見つからない
「可愛い」は誰が独り占めしてるんだろう。

たとえば「宮崎あおい」。
可愛い。演技派女優でもあり文句無しに可愛い。
「わたしは 可愛い から卒業する」なんて
CMに出演するくらい可愛い。

たとえば「きゃりーぱみゅぱみゅ」。
可愛い。原宿系ファッションを普及させ、
海外でも大きな支持を得るセカオワ深瀬の元カノ。
独特な雰囲気も少し幼い声も可愛い。

たとえば「あのちゃん」。
可愛い。ボブに姫カットという斬新な髪型に
不思議な食生活も服装も病み可愛い。
 信じられないほど白い肌も可愛い。

上に述べた3人は大勢の人間に支持される
「圧倒的可愛さ」を持っている。

じゃあ、私が宮崎あおいになったら。
じゃあ、私がきゃりーぱみゅぱみゅになったら。
じゃあ、私があのちゃんになったら。

「圧倒的可愛さ」を手にしたら幸せになれるんだろうか。
かくも生きづらい世の中は「圧倒的可愛さ」で
ねじ伏せることができるんだろうか。

現実はそうかもしれない。
可愛い方が優遇され、見た目のコンプレックスに
苛まれることがないのは当たり前だ。

でも私は「圧倒的可愛さ」なんていらない。
大勢の人間の支持もいらない。
生きづらさなんて関係ない。
この姿の私を、私自身が世界一可愛がって、
世界一支持してあげたい。
黙っているだけじゃ可愛がってもらえないなら
可愛がられる努力をしていたい。
自分の力で可愛くなってみせたい。
そして自信の無い愛想のない才能のない自分を
ぜんぶぜんぶ肯定したい。

それが「可愛い」であり「強さ」なんじゃないか。
生まれ持った「可愛い」も、捻り出した「可愛い」も
みんなみんなキラキラした「可愛い」だ。

女の子は可愛い。
女の子は「可愛い」への無限の可能性だ。


女の子は「正義」である。

「無理」のエレクトリカル家庭訪問

机上に置いたLEDライトで照らされる埃を見つめてた。
掃除しなきゃな、面倒だな、とりあえず吸わないようにしとこ、と思い息を止めてみた。
そのうち苦しくなってきて「あーなんかどうでもいいわ、埃吸っても吸わなくても死ぬ時は死ぬだろクソが」と思いTwitterを開いた。

はいここ。ここです。
ここで馬鹿でかい「無理」がやってきます。
なんでここで来る?ってタイミングで。
こんにちはきれざわ端娘です。

「無理」がやってくるのはなんてことない一瞬で、
たとえば洗濯した服をたたんでるとき、
ごはんを食べようと箸を持ったとき、
彼へのLINEを入力してアプリを閉じたとき、
そんなほんの一瞬のこと。

そのほんの一瞬気を抜いた隙に地球レベルの
「無理」のエレクトリカルパレード開演です。

演目は「自己嫌悪」「対人恐怖」「摂食への恐怖」。
そしてラストを飾るのは「無」。
何もかも嫌になって何もかもがそもそも何だったのか
思い出せないくらい混乱して、ついには何も無くなる。

頭の中は「死ねクソクソクソなんで私がこんな思い
しなきゃなんねえんだよふざけんな死ね消えろカスがああごめんなさい嫌わないでお願い言うこと聞くから見捨てないでひとりにしないでお願いあれなんだこれどうでもいいわ何してんだ寝よ」

これが私に襲い来る「無理」の一連の流れです。

だけど「無理」が帰ると世界がリセットされて、
また1マス目に戻る。
周りのものすべてが新鮮で、暖かくて、綺麗で、
偽りも疑いもない安全になる。
それと同時にまたクソサブカルメンヘラ生活の
リスタート。

いい加減飽きたわ、めんどいわ。
自分の価値観の変貌ぶりにドン引きだわ。
でもすべてを投げ出して死ぬわけにいかないし
手首をイカ焼きにもしたくないので生きます。

そういやエレクトリカルパレード観るのって
もはや激しいスポーツだよね。
ディズニーすげぇな。



中身からっぽですいません。
以上です。

自己紹介

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きれざわ端娘[キレザワハシコ]です。

 

職業は女子高生。

趣味はピアノ、ギター、読書。

好きな食べ物はチョコレート。

好きな歌手はYUKIちゃん、大森靖子ちゃん。

何の特徴もない。

何も無い私に唯一あるのは病名。

 

病名は起立性調節障害、不安神経症社会不安障害睡眠障害パニック発作、解離症状。

たまに低血圧でぶっ倒れる。

 

 

病名は何も無いことがコンプレックスで仕方なかった私の獲得した称号。

これが私をちょっとだけ、普通とは違う、素敵で憧れられる、「なにか」にしてくれると思ってた。

 

でも違う。絶対違う。

現実はそんなに甘くない。

パニック起こして引きこもってODしてラリって泣きじゃくる女子高生よりも公園の砂場で泥遊びしてる3歳児のほうがよっぽどロックで格好良い。

ほんと浅ーい切り傷ばっかり増やして死ぬ死ぬ詐欺してんじゃねーよバーカ。

 

ここまで単なるメンヘラdisになってしまったんですが私も度々Twitterとかいう神アプリでメンヘラ芸をお披露目するのでメンヘラに恨みはありません。

むしろ愛おしいくらいです。

メンヘラlove。

 

メンがヘラっても生きてるだけできっと格好良い。

 

 

そんなこんなでぼちぼち書きます。

お暇な時によろしければ。