女子高生は魔法少女になれない

キュアップ・ラパパ ?

私、ママにはママになってほしくなかったんだ

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生まれた時から母とうまくいかない。
たった1人の家族とうまくいかない。
きれざわ端娘です。

私と母はどうしてもうまくいかない。
毎日どこかが食い違う。
母は更年期、わたしは思春期だしお互い精神疾患を抱えているので円滑な関係を築くことができなくて当然なのだが親子同士でぎくしゃくし続けているのはかなりしんどい。

母は唐突にキレる。
理不尽な理由で私をけなす、貶める、蔑む。そしてヒステリック。お前はこの私のせいだと言いたいのかと何度も問い詰めてくる。さらにしつこく娘を監視しようとする。私は小学校を卒業するまでキスシーンのある漫画はすべて没収され、中学校を卒業するまで男の子と部屋で二人きりになるのを禁止されていた。これが心配からきているのはよくわかる。だが母は愛情が重すぎるのだ。エゴイズムが強すぎたのだ。最近でも私が電話に出ないと多い日で1日20件の不在通知。
そのせいで私は何度もスーサイドを考えた。
こんな親から逃げることが出来たのなら、自由になることが出来たのならどれだけ幸せだろうか。そう何度も思って生きてきた。
何度殺してやろうと思ったことか。
何度家を燃やそうと思ったことか。

もちろん毎日仲が悪いわけじゃない。
楽しい日だってあるしむしろ笑わない日はない。でも、私が、母のことを心から好きになることは一生無いだろう。

母は少し足りないのだ。
普通のお母さんがすべて完璧なわけじゃない。でも、うちの母は普通のお母さんの20%くらいしか「母親」になることが出来ない。
「娘」のことをひとりの「同性」として見てしまうのだ。だから強く当たるし悲しい時にも突き放す。娘として見ることが出来ないから。
それは病気のせいでもあるのだが、母は天性のヒステリックなので頓服を飲ませようがどうしようもない。

母は「良い母」になれない。

そして私は「良い母」でない母を肯定できない。

そして、私も「良い娘」になれない。

これはお互い苦しいんだ。娘に信用されない母、母を信用出来ない娘。負の連鎖だ。

母は料理が上手ではない。苦手なほうだ。
疲れて帰ってくると必ず夕飯はコンビニで帰ってきたもの。おそらく私はセブンイレブンのパスタを網羅したと思う。

最初は自炊しないで買ってきたものを平気で娘に食べさせる母を蔑んだ。私にもし子供が出来たらそんなことは絶対しない。なんだこの女は。信じられない。そう思った。

でもそんな日が続くと母からあるサインが出る。それは冷蔵庫に入った2個のお菓子。自分が食べたかったからなのか申し訳なさからなのかは私にはわからない。でも、母は母なりに母親になろうとしているんだと思う。

私が言いたいのは、子供は親を選べないということ。だから私は「産んでくれてありがとう」なんて一生思わないしお世辞でも言うことは無い。子供を作ったのは親だ。わたしたち子供の意思と関係なく子供として産まれてきた。
そして色んなものを見て、親の人格を知って、泣いて喜んで絶望して、生きるか死ぬかを決めてゆく。
だから子供は親のものじゃないんだ。
人はみんな良い意味でひとりなんだ。
ひとりでいるべきなんだ。
決して親に依存心なんて抱くべきじゃない。

私は母を好きになれない。
でも私の母はたったひとりだ。
交換もできないし殺すことだって出来ない。
だから、私は、この環境の喜びもストレスも全部飲み込んだ上で、なんとか生きていかなきゃいけないんだ。そう思う。

今日も明日も明後日も、私と母は親子だ。
ママはママになるべきじゃなかった。

劇的JOY!承認欲求ビフォーアフター

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注目されたい!!!
可愛がられたい!!!
認められたい!!!
死ぬまで何かを発信していたい!!!
きれざわ端娘です!!!

最近頭の中で自己承認欲求が膨れ上がっている。
いやむしろ自己承認欲求しかない。

もちろん私は一つの人格を保てるまで回復していないので「外モード」と「内モード」に3分おきくらいで入れ替わっているんだけども「外モード」のときの承認欲求が半端じゃない。

病的な程にっていうか実際病気なんだけど、普段から体調を崩して社会と触れ合っていないせいか「誰かに見ていて欲しい、認められたい、寂しい」という感情の塊になっている。

先日フォロワーしゃんのCASを聞きに行きまして、そこでその子が言っていたのが「死ぬまでに何かを誰かに伝え続けていたい」ってことで、すごくわかって、響いて、なんていうか泣きそうになって。

体調が悪いとどうしてもネガティブになるし、焦るし、なによりつらい。だからこそ自分の「元気な部分」くらいは誰かに認めていて欲しい。体がそう思っているんだと思います。

でもよく考えれば、その子の「認められたい」という気持ちは私が大いに共感していることで少しは叶えられているはずだし、私のことを認めてくれている人だってちゃんといる。
だから決して1人な訳じゃない。

訳じゃないんだけど!
そういう訳じゃないんだけど!!!


認められたいんだよな〜〜〜〜〜〜!
わかっててもさらに認めて欲しいんだよな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!
だって私達病気だから〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!

というわけなので私の承認欲求は底を突くことがありません。無理です。死ぬまでなんか作ります。

なんかぐだってるけど今日はここまでです。
いつもみたいにちょっと救いどころのあるブログかけなくて申し訳ねぇけど3分で書いたから許してくださいおわり!!!!!
承認欲求モンスターの記事読んでやってね!!!!!!


無敵のピンク

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小さい頃からピンクが大好きでした。
きれざわ端娘です。

ピンク。それは女の子の象徴。
明るくて優しくて甘くて可愛い世界一の色。
小さい頃から大好きだった。

ピンクのスカート、ピンクのヘアゴム、ピンクのサンダル、ピンクの鉛筆、ピンクの自転車。

ごく普通の女の子としてピンク色のものを与えられたわたしは、ずっとピンクが似合う女の子でいられると思ってた。

でもやっぱり無敵のピンク色にも限界がやってくる。
中学生になるとピンクの服を着るのがだんだん恥ずかしくなり、暗い色を好むようになった。
ピンクは大好きだったけどピンク色を身につけるのはせいぜい持ち物のひとつやふたつくらい。

大好きだけど、わたしには似合わない。

クラスで目立つわけでもなく、かと言って地味なわけでもない、そんなわたしにはピンク色はまぶしすぎた。ピンクのヘアゴムでツインテールをして学校に来るクラスメイトが羨ましかった。

もしかしたらピンク色は、わたしの一種のコンプレックスだったのかもしれない。

心の中では目立ちたい、可愛がられたいと思っていても恥ずかしさや諦めが勝ってしまって閉じこもることしか出来ない。それがすごく悔しかった。できることなら暗い気持ちを明るい無敵のピンクで殺してしまいたかった。

体調を崩してからはピンクなんて目にもとめないようになった。どうせ似合わない。わたしはそんなに可愛くなれない。可愛い色を身につけて似合わないと思われるのが怖かった。

でもひとつだけどうしても手放せないピンク色があった。中学一年生のときに買ってもらったピンク色のウォークマン。これだけはわたしにとっての絶対だった。
大好きな音楽が死ぬほど詰まったウォークマンはわたしのピンクへの憧れを握りつぶして結晶にしたみたいだった。長い長い病気の中で、これを持っているだけでちょっとだけ無敵になる気がした。

それから、わたしは「無敵になるため」のピンクを集めはじめた。まずはイヤホン、ブックカバーなど身近なものから。わたしはアイドルも大好きだったからまゆゆをはじめとするピンクが似合う女の子を食い入るように見て、ピンクのキラキラを、可愛さを吸い込んだ。
そしてずっと好きだったプリキュアのカードゲーム。プリキュアのリーダーはみんなピンク色を纏って戦う。それは本当にキラキラしていて、何より可愛くて、いとおしかった。
だからプリキュアのテーマ曲を聴いて、カードを集めて、プリキュアが持っているキラキラをめいっぱい吸い込んだ。最初はやっぱり「その歳でプリキュアなんか観てどうするの」と言われて傷ついたりもした。でもやっぱり好きだった。あのキラキラは他にはないものだって信じ続けた。

そんなことを続けているうち、ピンクへのコンプレックスはほとんど無くなっていた。
わたしだってピンクが好きでいい。
女の子はみんな可愛い色が好きでいい。
思い切ってそう考えることで、わたしにとってピンクはより絶対的なものになっていった。

みんなコンプレックスはある。
いや人はコンプレックスの塊だ。でも好きなものは好きだと貫き通すことができなかったら、わたしはとうにダメになっていたかもしれない。好きなものは好きでいい。恥ずかしくたって年齢にそぐわなくたってそれで無敵になれるならなんだっていい。
わたしはピンクが大好きだ。

それが大好きなピンク色から、大好きなピンク色を纏って戦う女の子からわたしが少しだけ教えてもらったことです。

そんな記事を書いた今日は偶然にもストロベリームーンだそうです。



「フィクション」

地球が天使を吸い込んだ。
きみはまるでだめな天使だ。
剥がれたマニキュアはきみの涙になって、海になって、また新しいいのちになった。
空は今日も綺麗なピンク色で、僕はそれが大好きで、きみの頬が染まっていくみたいで。
僕はずっと綺麗なピンク色を見ていた。

きみは泣かない。
僕は何度もきみの前で泣いてしまうのに、きみは僕に涙をみせてくれない。
きみの涙はきっとすごくすごく綺麗で、真っ白で、僕の全部を溶かしてしまうんだろう。
でもきみは泣かない。
ひとしずくたりとも。

好きというきもちを言葉にしてしまったら、絶対などと言ってしまったら、きみは悲しむだろうか。
絶対なんてない。ずっとおなじことなんてない。きみの髪が伸びてゆくように。
でも僕はついそう言ってしまう。
きみの心を引き留めておきたくて、僕のことを覚えていてほしくて、きみが好きで好きで仕方がない僕は、ずっと好きだよ、ずっと愛しているよと何度も口にする。ごめんね、ごめんね、と思いながら手づかみの愛をきみに押し付ける。
きみはきっと命がけの愛なんて望まない。
でも僕はいつだってきみのために、きみだけのためにいのちを洗面台に流そうとする。

神様はおおきなおおきな嘘をついた。
本当のことに飽きてしまっては嘘ばかりついた。
僕はときどき悲しくなった。
本当のことを知りたいだけなのに、きみの好きな夏がいつくるのか知りたいだけなのにどうしてこんなに難しいんだろう。
僕はときどき悲しくなった。
でも悲しくなったことを誰にも言えなかった。
僕には友達がいなかった。

僕はひとりぼっちだった。
僕は人の言葉を理解するのがちょっとだけ苦手だった。
僕は人と同じことで同じように笑うのがほんの少しだけ苦手だった。
僕はさみしかった。たすけてほしかった。
でもきっと神様が言うように僕はきみを愛することができるようになるまでずっとずっとひとりぼっちだ。


僕はきみをまっすぐに愛したい。

きみが電気を消す前に好きだよ、と伝えたい。

僕はきみが好きだ。

バカって言ったほうがバカ

バーーーーーーーーーーーーーーーーカ。
きれざわ端娘です。

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人に対してイラッとすることはよくある。

いや「イラッ」どころではない。「死ね💢💢💢」の域まで達することもよくある。

学校、街中、TVのワイドショー。

人類みな人それぞれなので当然馬が合わないこともあるし仲が良くても猛烈に相手の言動が腹立たしく感じることだって当然ある。

問題はその怒りの発散方法だ。
見ず知らずの相手であれば「何やってんだお前ふざけんじゃねぇよ」と心の中で呟くなりTwitterに呟くなりできるが顔見知りの場合、特に日頃仲の良い友達などの場合発散するのが大変苦しい。
仲良くしてくれている相手にはそう簡単に罵詈雑言を浴びせるわけにはいかない。
だからといって100%我慢してしまうと後々の付き合いに支障をきたす。

そこで私がよく使うのは「バーカ」だ。
非常に幼稚な言葉だが案外便利で、軽く心の中で「バーカ!」と呟くだけでだいたいどうでもよくなってくる。
ここで大事なのが「バーカ」に詳細を付け加えてはいけないということだ。
「バーカ」のみであるからこそ軽く感じられるのであって「お前ふざけたこと言ってんじゃねぇよ知らねぇっつってんだろバーカ」まで言ってしまうとこれはただの罵詈雑言である。
そこをあえて「バーカ」に留めておくことにより相手への罪悪感も減少される。

人の悪口を言う、という行為はあまり良いものではないが、せめて自分の心の中だけでも自由に発言できないとどんどんストレスが溜まる一方だ。
自分がストレスを感じたということは少なからず相手に非があるだろうし、それに心の中で愚痴を言ってはじめて自分にも非があったと気づくかもしれない。
なので「人を悪く言ってはいけない」と小さい頃から体に叩き込むように教えられてきたからといってそれが本当に正しいとは限らないと思うのである。


というわけで少しこの間感じた個人的な怒りをここにぶつけさせていただきたい。


「うるせぇよ何言ってんだよお前に指示される気なんてさらさらねぇわ本当にどこからの目線でもの言ってんだいい加減にしろなんで私が下手に出なきゃなんねぇんだよお前は何様だしかも急に機嫌悪くなってんじゃねぇよお前様のご都合なんていちいち文章で察してられるかもしかしてお前他の友達にもこういう態度で接してるんじゃないだろうなだとしたらお前相当な害悪だぞマジでやめとけよ私はお前のそういうところが唯一気に食わねぇんだよわかるかいい加減にしろよバーーーーーカ!!!!!!!!!!」


と、結局私はいつも長々と愚痴を言ってしまう。
理想はなかなか守れない。

聴いてください、キュウソネコカミで「サブカル女子」

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やっぱ[Alexandros] の洋平さん格好良いよね。
きれざわ端娘です。

最近「サブカル」という言葉をよく耳にする。
いや私も実際「クソサブカルメンヘラ」を自称しているしそんなに遠いワードではない。
でも定義はなにかと聞かれると答えられない。

サブカルチャー。略してサブカル。
これはどこからどこまでを指す言葉なのか。

みんなが知らなかったらサブカル?
メジャーデビューしてなかったらサブカル?
クリエイターズ商品を持ってたらサブカル?
ヴィレッジヴァンガードに週3回通ってたらサブカル?

さっぱりわからない。
なんとなく「原宿系女子が好みそうなもの」という分け方がされている気がするがそこを突き詰めると「原宿系」の定義すらわからなくなってきてしまう。

じゃあなにが「サブ」なんだ。
なにと比較して「サブ」なんだ。
日本のカルチャーの「メイン」はどこだ。

どこかで「サブカル」は「ヤンキーやギャルが好まなさそうなもの」という説を聞いた。一理ある。
確かにPopteenSEVENTEENを読んで育ったキラキラJKはサブカルチャーとは縁がなさそうだ。

私は「サブカル」と呼ばれるものがとても好きだ。今だっておにぎり柄のiPhoneケースを愛用しているし、持ち物には同じくおにぎり柄の缶バッチやバンド名が記載された缶バッチがわんさか付いている。

キュウソネコカミの「サブカル女子」のようにチーズケーキも好きだし髪型は黒髪ボブだしラーメンズも好きだ。

っていうかキュウソネコカミ自体がもういわゆるサブカルバンドじゃねえか!
この間メジャーデビューしたけど!
キュウソネコカミ、良いですよね。
あの徹底的にサブカル女子をバカにしたと思いきや「サブカル女子に賛辞Oh Yeah」ですよ。良い。

もうどこからどこまでが「サブカル」なのかなんてテーマにした私が馬鹿だった。
広い。サブカルの海は広すぎる。
やめよう。

結局私が言いたかったのは「サブ」だろうとなんだろうと人間ひとりひとりが大切に思うものや音楽は立派な「カルチャー」なのだ、ということだ。

人気がなくても変だと言われても好きなものは好きだ。
そして多くの人が好きなものでも好きなものは好きだ。
追っかけていたバンドがMステに出たから冷めたってのはなんか違う気がする。

人間だれしも個性は欲しい。
人とちょっと違う自分にたまに酔ってみたりもする。
でも人と違うことだけが正義じゃないのだ、趣味に個性を求めすぎて迷走してしまっては本末転倒である!!!!!!!!!

という過去の私への戒めも含めた今回はここまで。
ありがとうございました。


桃娘#とは

「桃娘(トウニャン)」をご存知だろうか。
きれざわ端娘です。
「桃娘」とは古代中国で行われていたとされる「桃のみを食べさせられて育った少女」のことである。
桃以外の食物の摂取を絶たれた「桃娘」の身体からは桃の香りが漂い、汗や涙などの体液からは桃の味がするという。その体液には不老不死や長寿の効果があるとされ富豪たちに売買された。
あまりにも現実味がないことから都市伝説として語り継がれているがなんともロマンがある。

私は幼少期からイレギュラーでマイノリティなものへの憧れやコンプレックスがひときわ強かった。
クラスの中で目立つわけでもない、かと言って地味なわけでもない私はずっと「個性」に憧れ続けていた。
我らが大森靖子ちゃんの歌詞にもあるように眼鏡デビューした子を見れば眼鏡に憧れ、花粉症で授業中とくべつにマスクを付けている子を見れば花粉症に憧れた。

それは次第に大きなコンプレックスとなり、ついには身体の一部になった。
中学に上がるとたびたび「私には何も無いんだ」と思い込み悩むようになった。
そんな中学時代はというと、成績は常に学年15位以内を保ち、吹奏楽部に所属してがむしゃらに練習を重ね1年生にしてパートリーダーを任され、合唱コンクールの伴奏に立候補して成功も果たした。
私は十分すぎるくらいに頑張っていた。
だけど当時の私は気づかなかった。「私には何も無い、まだ足りない」と必死になり人から任されるものは全て引き受けやり遂げた。
精神の乱れや体調不良を押し殺して、狭いクラスという世界の中で輝ける「なにか」を探した。

でも結局それは見つからなかった。
見つける前に私の身体は限界を迎えた。
学校に一切行けなくなり絶望した私の身体はすでには睡眠障害パニック発作を抱えていた。

おかしい。
私はこんなに頑張ったのに。
私はまだ何も見つけられてないのに。
私はもっと認めて欲しいのに。
私はもっとみんなに憧れられたいのに。
私はもっと私を見て欲しかったのに。

人にとって自分がイレギュラーであること、マイノリティであることを求めすぎたのだ。
イレギュラーであることなんて称号じゃなかった。
マイノリティなんて正義じゃなかった。
それに気づくにはあまりにも遅すぎた。


「桃娘」
そう呼ばれた彼女らはどんな気持ちだったのだろう。


自らの存在が神秘に包まれ、己の身体すべてが妙薬として重宝され富豪たちに可愛がられる。
人類というカテゴリで見てあまりにもイレギュラーすぎる育ち方をした彼女ら、私が欲しくて欲しくて仕方なかった「個性」の塊のような彼女らはどんな気持ちだったのだろう。

もちろん、桃娘も元は人間である。
ある一定の年齢を過ぎると桃の糖分のみを摂取し続けた為に糖尿病となり、手足が壊死する者、失明する者など病に蝕まれていった。そして桃娘が重宝されたのは生きている間だけではない。死んだ桃娘の血肉さえも妙薬として売買されたのだ。

自分のありとあらゆるすべてが神聖なものとして扱われ、大勢の人間の貴重な薬となる気持ちは一体どれほどの満足感と幸福感得られるものだったのだろうか!
もしくは自分が「物」として扱われているという絶望的な認識だったのだろうか。


あまりにも馬鹿で単純な私には、普遍的な人生と「桃娘」の神秘的で残酷な短い人生の優劣をつけることはまだできない。